高齢者の難聴と認知症の研究

  ある研究によると、65歳以上の高齢者の30%が難聴で、85歳以上では70%から90%の方が難聴と報告されています。しかしながら、Fischerらの報告では難聴高齢者の半分は補聴器を装用していないと報告されています。

  現在はまだ、補聴器装用が認知機能改善に寄与する傾向は認められているものの、観察期間が短かく、結果として統計学的に有意ではないと報告されているのみです。

  
補聴器装用と認知機能の低下の関係については、ランダム化比較試験(RCT)が進行中で、現在アメリカでは ACHIVEという介入研究が行われています。


  フランスでの25年間3500名以上の高齢者についての
PAQUID コホート研究によると、難聴レベルを自己診断しての研究ではあるものの、難聴者の場合、対象に対し経年的に認知機能が有意に低下していくことが報告されています。   

  難聴者で
補聴器を装用しない場合、認知機能低下が加速することが対照群と比較し判明し、難聴があっても補聴器を装用する場合、低下に有意差がなくなることから、難聴が高齢者の認知機能低下を加速させることが報告されています。   

  
補聴器装用難聴者において統計学的に認知機能低下が抑制可能と判明し、同様の現象はうつ・認知症・その他の機能障害においても認められました。   

  以上から高齢者の未検査・未治療の難聴に対して、医療介入する重要性が示唆されました。





日本の高齢者事情


  現在、老化や高齢者像を肯定的に捉える新しい考え方が注目されております。サクセスフルエイジングという、健康や生きがい・肉体精神的面に注目した考え方や、プロダクティブエイジングという社会的自立面から老化を捉える概念が推奨されております。


  老化に伴った認知機能低下や聴力低下は、相互関係があると考えられており、高齢者の生活機能障害を生じる原因となります。


  認知機能とは理解・判断・論理といった知的機能の事で、精神医学的に知能に類似した概念とされ、我々が円滑に日常生活・社会生活を送るために不可欠な機能であり、個人の自立を支える重要な要素でもあります。



日本の高齢者と難聴   

  2008~2010年の国内調査(老化に関する長期縦断疫学研究:NILS-LSA)によりますと、
70~74歳の難聴有病率について、検査で判明する程度の軽度難聴者は、男性 51.1%、女性 41.8%、日常生活レベルで問題が出始める程度の難聴者は男性の15.6%、女性の8..6% でした。

  難聴は、年齢に伴い有病率が高くなる代表的疾患の一つとされ、2012年時点で1503万人以上の高齢難聴者がいると試算されています。


  難聴が及ぼす社会経済的な影響としては、難聴のみを独立要因として捉えても、低所得・失業・不完全雇用等と有意な関連があると報告されています。


  オーストラリアでの調査によると、65歳の平均余命が男性で19.4年、女性で23.2年で、このうちの半分以上の年月を難聴と共に生活することとなると試算されています。超高齢化社会である日本においては、難聴を伴っての生活期間はそれ以上に長くなると推察されています。


高齢者の難聴と認知症

  高齢期の健康問題の代表的なものとして認知症・難聴 が注目されており、これらは活力のある積極的な老後生活への障壁となっています。

  国内における聴力と認知機能低下についての調査には、上記NILS-LSAがあり、難聴の存在がその後の認知機能へ与える影響について解析されました。

  男女2400名,40代~70歳代 老化の経年変化について記録したもので、医学的項目・遺伝子・形態・運動・栄養・心理面等について2年ごとに繰り返し調査されています。   

  認知機能には
結晶性知能流動性知能という側面があります。結晶性知能とは知識力・言語能力・洞察力・判断力・内省力等で、流動性知能は処理スピードや直観力・法則を発見する能力・図形処理能力等です。そして、両方に関わるものに推理力・発想力・記憶力・計算力があります。   

  結晶性知能は老化に耐性である領域と考えられています。流動性知能は、高齢となるに従い自然に機能低下します。


  NILS-LSAでは、
難聴がある場合は、結晶性知能の老化耐性が失われ、老化に伴って低下を生じる事が判明しました。また、流動性知能についても難聴が伴う場合は、機能低下がより顕著になることが判明しました。


  つまり、難聴の有無により、認知機能に関する経過が異なり、難聴が認知機能低下に悪影響を与えることが明らかとなりました。




  難聴と脳構造の関係の解析では、難聴が伴う場合、脳の言葉を感じる部分が萎縮、また脳全体の容積が萎縮すると報告されました。


  認知症となり、実際の機能低下が現れるかなり前から脳内にアミロイド物質やTau蛋白という異常物質が溜まり始め、脳が萎縮し始めることがわかっていますが、40歳以上の2000名のMRI 画像解析では聴力レベルと脳萎縮の関係が解析され, 難聴者の脳萎縮の領域は広範囲に及び、聴皮質を含む上側頭回や腹側一次運動野、前頭前皮質、視床に萎縮がみられました。   

  聴皮質を含む上側頭回は、音を処理する脳の聴域、腹側一次運動野は筋肉運動を維持する領域です。これらの結果は、発声する時の筋肉運動や感覚を制御する脳領域が言葉を聞き取る時にも何らかの役割を果たしているのではないか、というこれまでの
統合モデル仮説という説に合致する結果でした。   

  (統合モデル仮説は各々の脳の活動の担当領域は異なるものの、神経同士がネットワークを作って相互に強く連携しているとする仮説です。)


  聴力低下が脳に与える影響の左右非対称性についても検討されております。非対称性については、領域により異なる優位性が報告されており、聴力と関連性の強い側については、報告により異なっていました。   

  NILS-LSAでは、聴力低下と大脳容積低下の相関では、右大脳半球が有意に関連する傾向が見られた一方、聴力自体では左聴力が脳との関係性が高いという結果が得られ、これらはさらに解析中となっております。




加齢性難聴と認知機能低下の因果モデル


  高齢者の難聴と認知機能低下は相互に複雑に関係しており、様々な因果モデルが提唱されています。
  以下が代表的な
認知負荷モデルですが、、


1.
脳・耳それぞれの神経変性過程が同時進行的に発生します。

2.脳変化により、注意の欠落や処理速度低下が生じます。
3.聴力低下により、
騒音下や複数人との同時会話、または質の低下した音声を聞く場合にて感知が困難になります。
4.これらは、脳変化の影響も受け、
さらに認識が低下します。
5.聞こえた内容を理解する時、
萎縮し始めた脳では認知の余力を利用し理解を試みるために、余力が消費され、情報の長期記憶への定着が困難となります。
6.その結果、
認知機能低下や精神・心理的不健康が生じ始めます。


難聴とワーキングメモリー・認知負荷仮説   

  難聴の場合、音が劣化して聞こえることから
日常的に努力集中して聴き取り をしないといけなくなります。

  ワーキングメモリーは、目標行動のため、必要な情報をこころの中にしばらく保持しておくような脳のメモ機能です。一時記憶として人間が瞬間に記憶できる情報の量は、個人差があるものの、7+-2個とされています。

  有る程度高度の難聴の場合には、
内容理解のためにより多くの注意やワーキングメモリーが消費され、記憶容量が圧迫されて処理に疲弊し、最終的に認知機能低下につながると考えられています。

  この様な認知負荷仮説によると、中等度以上の難聴者では、与えられた複数の課題を平行処理する能力が低下することが報告されており ます。例えばこれは、高齢者の交通事故発生の原因でもあると推定されています。会話をしながらでは正しく運転することが出来なくなっており、事故を生じるのではないかと考えられています。